浜松旅行記その5~バス旅始まる~

2日目

早く起きたら朝一のバス、と思っていましたが、ゆるり旅なのでアラームはかけずに。

しかし夜中ちょいちょい目が覚めてしまいあまり寝付けなかった。ベッドや枕は十分上質だった気がするけど、歳を重ねると普段と違うと簡単には熟睡できないのかもしれない。

そのうち普段から熟睡できなくなるのかと思うとイヤーね。

で、1時間半ずつくらい小刻みに寝ていたんだけど、なぜか朝直前だけちょっと余計に眠れた。

起きたのは6時24分。朝一のバスは6時30分。あ、こりゃ朝一は無理だわ。

ということで1時間ほど後の次のバスに乗ることに。


バス乗り場へ行くとめちゃくちゃ並んでいる( ゚Д゚)

そうか、通勤通学ラッシュか・・・車社会かと油断していたけど、特に通学は結構バスなんだよねぇ・・・

しかし意外とバスは収容してくれて、かろうじて空いていた最後部の座席に座れた。

ちなみに、浜松のバスやローカル線では全国共通の交通系IC(SuikaとかPASMOとか)が使えない。地域専用のICはあるのだが、まあ観光なら現金払いが無難だろう。

駅のバス待合所に両替機があるので、それで両替しておくことを勧める。私はしっかり前日にチェックしていたので、乗る前にしっかり両替済。ふっ。


久しぶりのバス旅、景色をみながらのんびり・・・していたのだが、一つ問題が。

最後部にちょうど後から朝日が差してきて・・・暑い( ;∀;)

しかも道が混んでいて明らかにバスが遅い。

1時間くらい乗車する羽目になり、やばいなあ、そろそろ限界だなぁ、くらいのところで目的地に到着。降りるとひんやりした空気が心地よい。はぁよかったぁ。


本日最初の目的地は三方ヶ原古戦場。バスに乗っていて分かったけれど、現在この地域は三方原(みかたばら)と呼ばれている。

バス停のすぐ側に古戦場の碑を発見する。ちょっとした解説板はあるが・・・

本当に、ポツンとあるだけ

墓園の敷地の一部に碑はあるので、この墓園は元は戦死者を弔っていたのかなぁ・・・くらいの考察はできる。すごく平野なので大軍を展開しやすいだろうなとも考察はできる。

だが・・・もうやることがない。本当にすぐ終わった。周囲の散歩をしようにも、バス通りになっている国道を一歩逸れても何かある気配がない。半分以上は田んぼだ。頼みの国道沿いにもあまり店は無い。


まあしかし、想定内。とりあえず駅方面に戻るバスの時間をチェック。20分ほど待つが大きな待ち時間ではない。のんびり待ってもいいが、バス代の節約も兼ねて来た道を歩いていくことに。

道中書店を発見。しかしさすがにまだ時刻は9時くらいなので開いていない。9時半オープンと書店にしては早い開店だが、惜しかった・・・

他は何も無く、結局2つバス停を進んだところで待つことに。


しかし・・・待てどもなかなかバスが来ない。ちょうど日陰になっているバス停で、今度は逆に寒い( ;∀;)

バス旅でバスがなかなか来なくて「ああ、くそっ!」と太川陽介がよく悔しがっているが、ちょっと気持ちが分かった気がした。

13分遅れでバスが到着。本家バス旅なら結構致命的なタイムロスだ。まあ私はさほど急ぐ旅ではないが・・・ともあれ寒さから解放されてほっと一息。

渋滞もだいぶ解消されて、道中もスムーズ。前日に路線図をしっかり見て駅の手前で乗り換える最短ルートバス停はチェック済。バス旅のプロも顔負けやで(^○^)と思っていたが、なんのことはない、車内アナウンスで乗り換えのアナウンスがちゃんとあった(^-^;


バスを降りて、時刻表をチェックするも、目当ての行先が書いていない。

これはあれか?バス停が分かれてるパターンか?と良く見ると一番下にやはりバス停が分かれている案内が。いつもテレビで見ているバス旅が役に立ちますねぇ^^

と思って得意になってそっちに向かおうとしていたら、地図を読み違えてしばらく逆方向に歩いていた(;一_一)

致命的なミスにはならなかったが、太川陽介なら「何をしてるんだ僕は」とひとりごちているところだろう。


バスを待つ間少し時間があるのと、トイレに行きたかったので周囲を探すと、すぐ近くに「犀ヶ崖資料館」が。浜松城で家康軍が武田軍にちょっと反撃したと噂の犀ヶ崖である。入場無料だしトイレもありそうなので立ち寄ることに。

入るとトイレを借りるにはちょうど良い規模感で、ちょっとした刀や鎧、ジオラマに地元の祭りの道具の展示という感じ。

ガイドのじいさんがこれまたしゃべり好きでよくしゃべる。三方ヶ原の戦いの後に疫病が流行り、死者の祟りと考えられてそれを鎮めるための祭りとして始まったという祭りの説明がなぜか一番熱が入っていた。一番どうでもいいけどな・・・

まあでも戦いの後に疫病が流行るのは確かに死者の祟りと考えられやすいけど、よく考えると論理的で、死体を漁る人や処理をしている人とかは当然病原体にさらされやすいのでそこから流行していくのだろうなぁという推論をしつつ聞く。


浜松城では前身となる城を「引間城」と表記していたが、ここでは「引馬城」と表記しているのが目に付いた。ちなみにゲームで私が知っている表記は「曳馬城」である。

そのことについてじいさんに聞くと「馬を曳く」という表記がイメージ的に良くない(誰かの風下に立たされる感じかな)ということで後に表記を変えたりしているみたいだとのこと。なかなか良いことが聞けた。

ちなみに後に知るが遠州鉄道というローカル線の駅名には「曳馬」の表記が残っている。元の表記が一番良いと思うのは私だけだろうか。


話をトイレを借りるためになんとか切り、無事用を足して出るとじいさんは奥で「何を話そうかな・・」などと職員の人と相談している。これ以上つかまるとバスに乗り遅れかねないのでそっと退散。

と思ったが戸を閉める間際にじいさんが出てきた。ありがとうございましたーと言ってサッと戸を閉め無事回避(笑)

無事バスに乗り、次に目指すは・・・?

というところで次回へ続く。

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