浜松旅行記最終回~掛川はハード~

掛川には「掛川城」がある。実は日本百名城の一つである。

ちなみに浜松城は百名城ではない。

なぜ掛川城が百名城なのかは正直謎だが、日本の城を木造で再建したものの走り、ということらしい。

掛川城は大きな戦いは無く、家康にあっさり落とされた城、というイメージなのだが、ある有名なエピソードで知られている。

「山内一豊」という戦国武将がいるのだが、その奥さんの「千代」という人がかなりの賢妻だったことで有名だ。

掛川城は関ケ原の戦いの際に城主を務めていた山内一豊が、元々は豊臣家の武将だったために家康にどうやって信頼されるか、と言う時に、真っ先に家康に掛川城をポンと提供して信頼を得た、というエピソードがある。千代のアドバイスがあったとかなんとか・・・

最終的に山内一豊は土佐(高知)を治める大名にまで出世することになる。

大河ドラマにもなったりしたのでご存じの方も多いかもしれない。


そんな掛川城に向かいつつ昼飯の店を探していると、まだやっているそば屋を発見。禁煙の表記もあるしここでいいか、と入ってそばとかつ丼を頼んだ。

が・・・

そばは手切りで太さがまちまち。つゆもそばも別段特徴もないので食感が微妙。

そばは機械切りが太さが均一で食べやすいので私は機械切りをオススメする。手打ちかどうかは旨ければどっちでもいい。

かつ丼はまだましな方だが、卵が少なくあまり幸せは得られないかつ丼だった。

やっぱり急いで店を選ぶとろくなことが無い。そもそも浜松で昼飯を食っておくのが最善だったのだろう。


まあ過ぎたことは仕方ないので、気を取り直して掛川城へ。しかしこの城・・・

階段がきつい

木造再建の走り、ということで階段も昔ながらのきつい階段になっている。これは・・・しんどい。しかもせっかく天守まで登っても天守は外に出れないようになっていて風通しが悪いので、ちょっと残念な感じだ。

展示もあまりぱっとしたものが無い。天守だけでなく御殿にも入場できるのだが、こちらは主に江戸時代に使ったものらしく、史料よりも解説的な展示が多くて正直つまらない。

しかも御殿の屋根の上?で白蛇がいるとか、御殿のまわりの道にハチ注意って書かれていたりとか、なんか嫌(笑)


地理的な部分も上からの眺めが悪かったのでよく分からないが、ほとんど周囲も平坦、道路もクランクが少なくあまり防衛的な見地を感じられなかった。

やはりどちらかというと補給基地的な意味合いが強い城だったのではないかなぁと考える。それくらいしか発見が無かったのが残念だった。

城から出る頃には体力がもう限界だったので、散歩は諦めて帰路へ。


ということで、かなり掛川は骨折り損感の強い感じになってしまいましたとさ。ああ、トゥルネ・ラ・パージュにもう一回行っといた方が良かったかなぁ・・・

まあでもローカル線は楽しかったから、良しとしようか。


最終回はあっけない幕切れになりましたが、久々の長編、お付き合いいただきありがとうございました。

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