岐阜旅行記その4~知らなかった岐阜~

岐阜城の天守に登り周囲の地形に興奮した私。天下布武のために今度は下界に降りていきます。

岐阜城から出た後、岐阜城の入場券に岐阜城記念館的なところの入場も含まれると書いてあったので、そちらへ向かってみることに。

何があるのかなと思ったら・・・20畳あるかないかの小さなスペースにちょっとだけ大河ドラマの展示があるだけ。えっ、これだけ?(笑)ってなります。

やたらリアルな本木雅弘(齋藤道三役)を見ることができるのでファンの方はどうぞ(笑)


すぐ終わったのでさっさとロープウェイで下山。ロープウェイの案内アナウンスに耳を傾けていると。

「この下の広場では、かつて板垣退助が「板垣死すとも自由は死せず」の名言を放った演説が行われたとされています」

・・そうなんだ!全然知らなかった( ゚Д゚)結構有名エピソードなはずなんですが、誰もここであったとは知らないのでは・・・??もうちょいPRしても良いような。


なんだか知らないことに触れ、知識欲が増した私。すぐそばに博物館があったので正直座って休憩したい気持ちもあって入場。

残念ながら常設展は工事で休止中で企画展のみの開催とのこと。ちょっと損した気分だけどまあいいや。リス山よりは興味あるし。ちなみに企画展は「壬申の乱」。


戦国より時代は随分さかのぼり、大化の改新の少し後、天智天皇の後継者争いが大きな戦いになったのが壬申の乱です。

大海人皇子と大友皇子の争い・・ぐらいの一般的な知識しかありませんが、確か滋賀県近郊での戦いだったような・・・近場だけどこの辺と何か関わりあるのかな・・??と思いつつ展示を見ていくと。

どうもこの辺りの豪族は壬申の乱の主力として戦ったようですね。実際に岐阜にある不破関というところが戦場になったみたい。この時は、ふーん。くらいに思っていましたが、後でもう一度この不破関は登場することになります。その話はまたいずれ。


一通り見たところで無事休憩所があったので一服。かなり歩き疲れました。もうぐでーって感じで椅子にスライムのようにめりこんで座りました(笑)。やっぱ岐阜城は難所でしたねー。

少休止した後、岐阜城に来るまでの通り道で見つけた大仏のあるお寺へ向かうことに。

お寺は、うーん、全然人の気配が無いけど、大丈夫かなぁ・・・って感じ。でも受付にはちゃんと人がいた。中に入ると、ドーン!!!


おおお、確かに大仏だー!!でかい。良く案内を読むと日本三大大仏の一つとか。

おお、三大○○好きの私、今回も三大○○きましたね!しかも今回は全く予期していなかったのに出会えるとは!

後で調べると残りの二つは奈良の大仏と鎌倉の大仏。まあこれは有名ですね。両方行ったことある。ただ残りの一つは諸説あるらしい。なのでここが本物の三つ目かどうかは怪しいのですが、雰囲気は十分あるので三つ目で良い気がします。

大仏の周囲にはたくさんの地蔵菩薩?が並んでいます。京都の三十三間堂みたいな感じかな。もう京都の方は中学生の頃の記憶なのでおぼろげなのですが・・

誰もいなかったので思う存分堪能できました。穴場スポットかもしれませんね。


さてさて、大仏に別れを告げた後はどこに行こうかなって感じでしたが、気づけば時刻はもう13時を過ぎており、そろそろちゃんとした飯が食いたいなというテンション。

ちょうどこの辺りにはもう一つ気になるスポットがありまして。その名も「川原町の町並み」。岐阜と言えば鵜飼いが有名ですが、ちょうどその辺りが鵜飼いスポットのようですね。なんとなくいい感じの飯屋があれば万々歳です。


少し歩いていくとすぐに辿り着きました。確かになんかちょっと風情のある街並み。綺麗に咲いた桜もお出迎えしてくれています。うんうん。

お店を見ていくと、ちょっと高そうな予約必須っぽい店と、銀行の昔のやつと、カフェ的なのと、お宿と、ふむふむ・・・あ、長良川。ということは・・

えっ、もう終わり?

ちょっと歩いたらすぐ終わりましたね(笑)。あれですね、金沢の「にし茶屋街」とほぼ一緒ですねぇ(金沢旅行記参照)。

うーん、これは・・・一旦、駅に戻りますか。ちょうど近くにバス停もあるし。

てなわけでバスで駅に戻る。あっという間。さすがバス。少し早いけどそろそろホテルにチェックインできそうな時間だったので、一旦コインロッカーの荷物を取り出してホテルへ行ってがっつり休憩することに。


・・・あれ?昼飯・・・どうしよ・・・?ってところで続きは次回。

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