「囲碁と武将たち」~宮本武蔵編~

昨今の話題と言えば、やはり大谷翔平選手ですよね。投げて打って、獅子奮迅の活躍です。

しかし残念ながら、野球はあんまり興味が無い。子供の頃はよく巨人戦の中継を見ていましたが。

川相が好きでした。バントの職人。あとマルティネスも好きだった。太っていたのでよく真似してました。


まあそれは置いておいて。大谷選手といえば二刀流です。二刀流といえば宮本武蔵です。

というわけで、今回は宮本武蔵の話をしましょう。正直、武将というには微妙な気がしますが・・・まあ勘弁してください。

戦国時代ファンの私的には、宮本武蔵はやや守備範囲から外れます。宮本武蔵が生まれたのは本能寺の変の2年後、1584年と言われています。

生まれてくるのが遅かったと言われる伊達政宗よりも遅い生まれなのです。

この間旅行に行ったのが記憶に新しい関ケ原の戦いは1600年。武蔵はギリギリ参戦したのかな?ってぐらいです。一説には九州で戦いに参加したとかなんとか。

関ケ原の戦いに呼応して九州でも戦いがあったわけです。あの有名な巌流島もほぼ九州(今は山口県)ですし、晩年も熊本で過ごしています。九州ゆかりの人物と言えそうです。

他、大坂の陣や島原の乱には従軍していたようですね。とはいえあまり兵を率いる武将としての活躍は知られていません。もし兵卒として前線で積極的に戦っていたなら武勇伝があっても良さそうですが。

武将としての才には乏しかったのか、はたまた剣の実力が誇大広告気味だったのか?なんとも分かりません。謎の多い人物と言えます。


そんなちょっと頭が悪いかもしれない宮本武蔵ですが、意外にも囲碁を嗜んだようです。渡辺幸庵という人物に9子置かせても勝つような実力だったとか。

もっとも渡辺幸庵がどのくらいの実力なのか分からないし、9子置くって極端なので弱い人同士という説も捨てきれませんが、そこまで弱いとそもそも囲碁のことをわざわざ記述しない気もします。少なくとも有段者ではあったのではないでしょうか。

ということは、そんなに頭が悪いわけでも無かったのか・・・?すると合戦での活躍が少ないのはやはり謎ですね・・まあ、個人戦は強くても団体戦は弱い、みたいな感じかもしれませんね。


ちなみに武蔵は囲碁の他にも多くの書物を著し、絵も多く描いていたようです。

宮本武蔵は二刀流の剣豪であると同時に、文武の二刀流でもあったのかもしれません。

私は武の方は・・・いや、せっかく上の一行がいい締めっぽい文なので、ここまでにしておきましょう。

将棋じゃないほう。~吉森弘太郎の新宿囲碁教室~

2018年7月からスタートする囲碁教室の紹介や連絡をするページです。 後は好きなことを思いつくままに書いていければと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000