箱館奉行所では明かされなかったとある謎。
それは・・・
なぜ、「箱」館なのか。いつから「函」館になったのか。
確かに教科書とかでこの表記で見たことはある。この旅行中にも実は所々でこの表記は目にしていた。
しかしこの旅行中、ついぞその解説を見つけることはできなかった。
と、いうことでこの旅行記を書くにあたり調べてみたのだが・・・
A.明治2年から函館という表記に改名することが決まった。理由は不明
なるほど、解説がないわけだ(笑)お上の命令で改名したけどどうしてそうなったのかは分からないと。
これはぜひ紐解かれて欲しいなぁ。例えば、大阪も元は大坂という表記だったのだけれど、これは「坂」の字が土に還る的なことを連想させてあまり縁起が良くないから(あくまで通説)といった何かしらのエピソードがあるんだけれども。
「箱」は何か縁起が悪いのかなぁ・・・?
ま、謎は謎のまま、そろそろ旅行記に戻りましょうか。
箱館奉行所を後にして、なんとなく五稜郭を一周。外側の高い部分をお散歩したり。高い部分では黄色い花(多分タンポポ)がたくさん咲いてて結構綺麗だった。天気が良くて地面がぬかるんで無ければきっと気持ち良いことだろう(;一_一)
お散歩の後は五稜郭タワーへ戻ることに。ちなみにまだ霧は晴れない。
しかしまあ距離も近いし、さすがに見えるんじゃないか?ということでタワーを登ることにする。
無事展望エリアに着き、そこに広がる景色は・・・
ギリギリ五稜郭が見える!!良かった~(^◇^)
逆に考えれば貴重な霧に包まれた五稜郭を見れたとも言える。よしよし。
そろそろ飯時なので上から飯屋がありそうなエリアを探してみるもよく分からない。
展望エリアにも展示があってここでも五稜郭の歴史を知ることができる。
なんとなく眺めて帰りのエレベーターに乗ろうと一つ下の階に降りると、そこにもほんのわずかに展示が。
このわずかな展示。もう帰ろうとしてるので注意しないと見落としそうなこの展示。
なんと、私の一番知りたいことが書いてありました(笑)
いやもうちょっと目立つところに書いてぇ!?
と思わず一人ごちましたが、ともあれ五稜郭のもう一つの謎を無事知ることができました。それは・・・
「なぜ五稜郭はこの形なのか」
ということ。
ね?めっちゃ大事だと思いません?なのになんでこんな目立たないところに書いてるんだ・・・(*_*)
五稜郭の堀の氷を後々名氷として売り出して人気になったとかそういう展示よりよっぽど大事だろぉぉぉ!?
・・・まあ、書いてあって良かった。うん。
そんなわけでなぜ五稜郭があの形なのか、というと・・・
A.防御側の銃撃可能な範囲を広げる(死角を無くす)ため
文章で説明するのは難しいのですが、星形の突端が三角形になっていることで、突端部分の死角が無くなり、隣の突端からも敵を狙える。という感じです。
やはり銃撃戦に特化した造りになっているわけですね。
いやー、勉強になりました(^◇^)
そんなこんなで五稜郭タワーを後にして、昼飯探しの旅に出かけるところで続きは次回。
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