今回はリクエストがあったので「武田勝頼」を取り上げます。
なんだか武田ばっかりだなぁ・・と思いましたか?
実はですね・・戦国時代の武将と囲碁の関係を示す史料は少なく、著者が山梨県出身(なので武田家のことが中心)の「古棋」という書物に先日紹介した昌幸の棋譜が残っていたりする程度だったりします。
後は伝聞系の真偽不明の伝説系がほとんど。
あ、これはもしやエピソードが無いオチの前振りか・・・?いや、実はちょっとだけエピソードがあるみたいですよ。
エピソードの紹介の前に、「武田勝頼」についてざっと紹介しましょう。
先日紹介した「武田信玄」の後継者です。しかし意外なことに長男ではなく、四男坊です。長男が粛清されたり、次男が眼が見えなかったり、三男が早死にしたり・・・そんなこんなで跡を継ぐことになりました。
武将としては、実はかなりの武勇を誇っていたようです。織田信長は勝頼の武勇について非常に警戒していたようです。戦国時代の猛将としては徳川家の本多忠勝が有名ですが、それに引けを取らないかもしれません。
実際、信玄が落とせなかった高天神城という城を落とすなど、武功もあります。
しかし思い付きで行動したり、プライドが高すぎて一度決めたら後には引かなかったり、という面があったようで、信玄の慎重な性格とは真逆だったようですね。また高天神城を落とした武功を誇って自信過剰になり、どんどん家臣の意見を聞かなくなってしまったようです。
実際、それで大失敗してしまったのがかの有名な「長篠の戦い」です。織田信長の鉄砲に打ちのめされてしまった戦いです。家臣たちは信長陣営の備えを見て退却を進言していたものの、決戦を強行して大敗を喫しました。
長篠の戦いの後も、目先の利益を重視して同盟相手に背信行為をとってしまい、同盟を解消されたり・・
こういう武将は三国志でも心当たりがあります。三国志をちょっと知ってる人なら一度は聞いたことがある、「呂布」です。
呂布も天下無双の武勇を誇っていましたが、闇雲に出陣して本拠地を失ってしまったり、家臣より女の意見を重視してしまい家臣の信用を失ったりで最後は曹操に滅ぼされてしまいます。
勝頼はさらに「鉄砲」という人間の武勇では太刀打ちできないものに出会ってしまい、自分の武勇で何とかなると思っていたのを長篠で打ち砕かれた、というところではないかと思います。
そんな勝頼、長篠の戦いに負けた時、こんな捨て台詞を吐いたとされます。
「(信長の今回の勝ちは)碁で寝バマをして勝ちたるに同じ」
寝バマの「バマ」とは、アゲハマ(相手の石を取ったもの。最後に相手の陣地に埋めて相手の陣地を減らせる)のこと。
寝バマとは、つまりアゲハマをズルして増やす行為のことです。信長のやつ、鉄砲使って柵作ってズルしやがってコノヤロー。っていう捨て台詞なわけ。子どもみたいですね笑
例えでパッと碁のことが出てくるなんて。でも、こういう悔しい時に碁で例えるということは・・・
もしかして、親父の信玄に碁でいじめられてたのかなぁ・・・
子どものころ親父に碁でいじめられると、碁がつまらなくなってやめちゃうんですよねー。ちっとも勝たせてくれなくてねぇー。どこの誰とは言わないけどねぇー。
皆さん自分の子どもに碁を教えたいときは、自分で教えるより他の先生に教えてもらう方が良いです。強く主張致します。
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