日本の戦国武将だけでなく、有名な三国志の時代(西暦200年前後)においても、すでに囲碁は嗜まれていたようです。
前回は日本の「軍神」、上杉謙信について書きましたが、三国志において「軍神」と言えば「関羽」です。誰でも一度は名前を聞いたことがあるかもしれない超有名人です。
中国各地に「関帝廟」とよばれる関羽を祀った場所があり、神格化されています。日本でも横浜の中華街にあるのでおなじみかもしれませんね。
関羽のことを知らない人のために簡単に説明すると、三国志の「三国」の一つ、「蜀」の武将で、主君の劉備と友達の張飛とともに義兄弟の契りを交わした「桃園の誓い」はあまりにも有名。旗揚げ当初からその武勇で大いに武勲を上げ、「蜀」の礎を築いた一人です。
ああ、本当はもっと色々書きたい・・・我慢我慢。。
まあそんな関羽、結構頭も良かったらしい。なんと囲碁も嗜んでいたようです。棋力は残念ながら分かりませんが。そもそも現代の囲碁とは少し違っていて、基本のルールは同じなのですが、最初に、
こんな感じ(うろ覚えです、数字は関係ありません。置き石です)である程度石を配置してからスタートするものだったようです。しかも碁石が丸じゃなくて四角だったらしい。今でも中国の碁石は下が平らなので、そんな名残もあるのかもしれません。
話を戻して、関羽にはその豪傑ぶりを示す、囲碁の有名なエピソードがあります。
ある戦いで敵の矢を受けて腕を負傷してしまった関羽。矢に毒が塗ってあり、治療には骨を削る外科手術が必要でした。この時代に外科手術なんて・・と思う方もいるでしょうが、実はそれを可能にした「華佗」という名医がいました。
華佗は現代の麻酔である「麻沸散」を発明したとも言われ、不可能と思われる手術も成功させる伝説の名医として有名です。
華佗は手術をする時激痛なので腕を固定するように提案しますが、関羽は一言、
「いらぬ」
そればかりか手術中暇なので、部下と碁を打ちながら手術を受けることにしました。
半信半疑で手術を始める華佗。しかし関羽は声を上げることもなく平然と碁を打ち進めました。そうこうしている間に手術は終わり。
華佗に「私が天下の名医なら将軍は天下の名患者」と言わしめたとか。
そんな伝説的なエピソードでございました。
比較にはなりませんが、私も高校生の時、脱水症状を起こしながら最悪の体調で碁の全国大会に出ていたことがあります。
不思議なことに体調が悪いと勝てるというのは囲碁あるあるで、余計なことを考える余裕がない分素直で良い碁が打てたりするときがあるのです。
この時もフラフラになりながら初日は勝ち進み、ベスト16に残ることができました。
一晩休んでやや回復した二日目、すぐに負けたんですけどね(-_-;)
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